学校に行きたくない理由は誰にもわからない
学校に行きたくない理由は、周りの人にはわかりません。親にも学校に行きたくない理由はわかりません。学校の先生にも、学校に行きたくない理由はわかりません。もっと言えば、本人も学校に行きたくない理由が、本当はわかっていない場合があるのです。
好きか嫌いか決めるのは本能
つまり、学校に行きたくないのは、「学校に行くことに伴って生じる何かが嫌だから学校に行きたくないけど、なんでだかよくわかんない」、と言えるでしょう。人間は、脳の構造上、より原始的な本能を司る脳幹などと、生物としては割と最近発達してきた文化的活動を司る前頭前野とに分かれています。生命維持は原始的な部分で、言語活動は前頭前野などで担っているそうです。ところが、これらの脳はまだ発達途上のため連携がスムーズにとれていません。脳幹が本能で体をコントロールしている理由を、前頭前野は理解することが出来ず、言語化できないのです。
学校に行きたくないのも本能
そして、学校に行きたくないのは、この「脳幹」に近い部分が本能的に判断し、予測される危険から身を守るために「学校に行きたくない」感じさせているのだと考えられます。なぜ危険かは、五感を通して感じているものの、脳幹と前頭前野の連携がとれていないため理由を言語化出来ないでいるのです。学校に行きたくない理由に、「人間関係」「成績」「寒い」「眠い」「勉強がわからない」などのラベルを貼ることは、脳幹には出来ません。前頭前野が理解して初めて言語化出来るのです。
連携がとれるようサポートしよう
なんとなく嫌、という気分のまま放っておいていいというわけではありません。脳幹で感じていることが前頭前野で理解し言語化されるまでには時間がかかる、ということをまず理解してほしいのです。さらに、退避行動をしているので脳は緊張し、シナプスなどの動きも抑制されています。下手をすると繰り返し嫌な感情が芽生えるので、脳にすり込まれ、ちょっとしたことが原因でそれが長期記憶に書き込まれてしまうかもしれません。こうなるとそれを上書きするのには普段より長い時間を要します。そこへ「なんで行きたくないの?」と保護者や先生が入れ替わり立ち替わり追い打ちをかけるように聞いても、子どもは脳内でパニックを起こすだけで、何の解決にもなりません。それよりも、リラックスして連携がとれるようなサポートが大切です。それには、寝る、カウンセリングを受ける、脳の構造を本人が理解して落ち着く、投薬する、入院する、などやれることはいくつもあります。
ゴールはどこなのか
子どもを育てるゴールは、学校に行きたくないものを行かせればよいのではありません。自立した大人として将来自分らしい人生を送れるようにすることが一つのゴールです。そこに至るための手段の一つとして、現代社会では多くの人にとって学校は効率的だし有効ですが、あくまでも手段の一つに過ぎません。人間として成長するための学校に変わる手段なら、本人もサポートも大変ですが、あるのです。手段は合法であれば、どんな手段を使っても構わないはずです。「学校に行きたくない」が正義になるかどうかは、当事者や周囲の者たちの捉え方次第なのです。
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