学校の評価・評定は子どもの成長につながるもの

Sensei Homeru オペラント条件付け
この記事は約6分で読めます。

新学習指導要領全面実施の理念

新学習指導要領全面実施のはじまり

世の中は新型コロナウィルス感染症の対応に追われ、世界中が大混乱に陥ってしまいました。生活の制限と、そのストレスからくる鬱、認知症、人々の怒りのエネルギー、などなど。最近、日本国内で起こっているような嫌な出来事も、この混乱の一部として当然に起こりうることと予想されていました。今にして思えば、コロナの危機感を最初に広く日本に知らしめてくれたのは、安倍元総理が全国一斉休校を突如発表したことからだったのではないかと思います。

 そんな混乱を他所に、学校では新学習指導要領全面実施がすでに予定通り行われています(ことになっています)。新学習指導要領の原文を読み込んでいくと、心理学も今まで以上に採り入れて、さらに崇高な理念の元に考案されたと感じることができます。原文にあたれば、の話です。ところが、新学習指導要領についての所属自治体の教育委員会からの指示に違和感を覚える教員が多く、疑問が噴出しています。これはまったくもってその通りで、文部科学省が作った新学習指導要領やその解説が、いくつかの組織や人を通して教員に降りてくる間に、元々行間に示されていたはずの学習指導要領編成に関わる本来の意図が、バッサリとそぎ落とされてしまっているからなのです。

 新学習指導要領の目指すところ

さて、今回の学習指導要領は、「これからの社会が、どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動し、それぞれに思い描く幸せを実現して欲しい」との願いを持って策定されました。主に「主体的・対話的で深い学び」を実現しながら、次の3つの観点で子どもたちを伸ばそうとしています。

①知識及び技能
②思考力、判断力、人間力など
③学びに向かう力、人間性など

 これらの観点ごとに特別の教科道徳を除く全教科で「評価(A・B・C)」をし、その数によって「評定(5・4・3・2・1)」していくことになりました。今までは、①関心・意欲・態度、②思考・判断・表現、③技能、④知識・理解、の4観点(国語科は5観点)だったところから、3観点に整理・統合されたのです。
 それぞれの評価の出し方については、授業中の看取りだったり、授業の振り返りカードからだったり、試験からだったりします。細かいところについては、新学習指導要領の全面実施と学習評価の改善について(文部科学省初等中等教育局教育課程課)に解説があるので、実際に一度見てみることをおすすめします。
 これらの評価の仕方は、常に「教師」と「子どもたち」との対話によって適切な課題・評価となるよう改善していかなければなりません。評価の目的の一つに「子どもたちが課題を見付け、自ら学び、自ら考え、判断して行動するよう伸ばしていく」ことがあるのですから。
 ところが現実には、「教師」と「評定の数」との対話によって適切な評定人数になるような調整が行われていることも多いのが問題なのです。

 

誰の安心感のための3観点3段階、評定5段階なのか?

 没みそうな船から乗客を海に飛び込ませるとき、アメリカ人には「飛び込むとヒーロー・ヒロインになれますよ」といい、ドイツ人には「飛び込むのが義務です」といい、日本人には「みんな飛び込んでるよ」というと行動に移してくれる、というブラックジョークがあります。どうやら日本の文化全体にそういう傾向があるようで、子どもの能力がどうだろうと、記号化するとそれで安心する傾向が我々和の国の人にはあるようです。「5」とついても内容は千差万別なので、子どもの発達を促すためにはその内容こそが大切なのですが。
 最近認知度が高まっている発達障害についても、素人の教員が「~症だ」と勝手に決めつけて安心することが増えています。どの発達障害にもスパイラルな側面があってその境界がはっきり分かれているわけではありません。また、DSM-ⅤやICD-11によれば、診断の要件として「半年もの間の症状を観察しなければならない」とされているものも多いのです。ところが、病院の診断一回で判定が出ないのがおかしいとさえ思っている教員も多いのです。残念ながら、教員だけでなく、地方自治体のそうした専門部署の職員でさえ、そういう者がいるのが実際のところです。一回で診断してくれる医師の所にも、診察希望者は多くいます。
 例えば、「乳児」がはいはいを始めたとき、「おっ、BBAの3だね」とか「定型発達通りだね」と言わないと思います。そんなことを言われても、乳児は喜びません。「手の出し方が上手だねぇ」とか、「今度は足が速く動くといいねぇ」とか、何が良かったのか具体的に返したり、次に何をしたら良いか、その場で返しているはずです。できることの喜びと、具体的な評価が返ってきて、次に何をすればいいのか具体的に示してくれるから、次への意欲がわくのです。
 学校の子どもたちも同じで、「BBAの3」とだけ言われて「自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動」しようとできる中学生が全国に一体何人いるのでしょうか。おそらくテレビの視聴率なら、即打ち切り必至の数字にも満たない人数でしょう。ところが、今「働き方改革」の名の下に、「記号だけ」の成績が返されている子どもたちが激増しているのです。しかも、2期制の子どもたちには10月まで評価が知らされない。6か月間評価されずにモチベーションを保てというのは、少し酷すぎやしませんか。

子どもの行為に対する評価は「迅速、理由の明確さ」が鉄則

子どもの学びに対する評価は、すぐ行って納得ができる形で返すのが鉄則です。誤解しないで欲しいのは、定期テストを翌日に返せと言ってるわけではありません。冒頭で、新学習指導要領が心理学的にもよく練られていると申し上げました。子どもが生涯を通じて学び続けるためには、学ぶことへの楽しさ(ゲラゲラ笑うこととは違います)を身をもって体験し続けることが大切です。

 例えば、オペラント条件付けによる学習モチベーションの維持・向上のためには、正の強化を迅速に与えることが大切です。適切なタイミングで褒めて、意欲を中心に伸ばす。褒めると甘えるという人もいますが、もちろんバランスが大切だし、「褒め殺し」というのもあります。
 外発的動機付けを誘引するものは、当然成績だけではないのですが、中学生にとっては大きな関心事です。であるにもかかわらず前期・後期といって長い休みの後にしか評価をしない学校は、まさに「先生のためだけの働き方改革」と揶揄されても仕方ないかもしれません。

 自閉症傾向にある子ども(軽い自閉傾向も含めると相当数に上る)は、情報の上書きが苦手です。一度すり込まれた誤情報が反芻されて長期記憶に貯蔵されてしまうと、修正して感情レベルにまで落とし込むことは至難の業です。半年経ってから渡された各自の評価について、納得性を担保できるとは考えにくいのです。これは一般の子どもたちにも充分当てはまります。本人が納得していなければ、次の行動への発展性も望めません。詳しい評価が難しいなら、バックトラッキング(オウム返しのようなもの)でもかまわないので、評価は即時行うのが鉄則だと思います。

最後に

 これからの社会が,どんなに変化して予測困難な時代になっても,自ら課題を見付け,自ら学び,自ら考え,判断して行動し,それぞれに思い描く幸せを実現して欲しいとの願いを持って策定された新学習指導要領。「主体的・対話的で深い学び」とは、生徒が学ぶ姿勢だけを示しているのではありません。「生徒と教師の主体的・対話的で深い学び」、「教師と教材との主体的・対話的で深い学び」をも含めているのです。あなたの学校は、何学期制ですか?

コメント

タイトルとURLをコピーしました