保護者の不安は愛の形―勇気づけで歩む子育ての道

Featured image 1966 85cf05364deccd35b0d0d4aca1e5a206.png 不安

不安という名の、もうひとつの愛

「先生、うちの子、このままで本当に大丈夫なんでしょうか」

放課後の相談室。保護者の方の声は、次第に大きくなっていきました。

「いつもボーッとしていて、授業に集中できていないんじゃないですか。このままじゃ高校にも行けないんじゃないかって、夜も眠れなくて…」

言葉は矢継ぎ早で、ときに語気も強くなります。若い担任教師は、少し身を引くように椅子に座っていました。心の中で「また始まった…」とつぶやきながら。

「先生は本当に、うちの子のこと見てくれてるんですか?」

その言葉に、教師は思わず防御的になりかけます。毎日きちんと見ています、できる限りのことはしています——そう言い返したい気持ちがこみ上げてきます。

でも、ふと、目の前のお母さんの手を見ました。膝の上で、ぎゅっと握りしめられた手。その指先が、小刻みに震えていることに気づいたのです。

同じような光景は、家庭の中でも繰り広げられています。

「何度言ったらわかるの!」「いい加減にしなさい!」

夕食の準備をしながら、お母さんは子どもに強い口調で言ってしまいます。宿題をやらない、部屋を片付けない、朝起きられない——心配が募るほどに、言葉はきつくなっていきます。

そして、夜、子どもが寝静まった後、ふと我に返ります。「また怒鳴ってしまった…」。自己嫌悪と後悔が、静かな部屋に満ちていきます。

不安の奥にあるもの

教育現場で長年働いてきた中で、私は数え切れないほどの「不安」に出会ってきました。

保護者の不安。教師自身の不安。そして、子どもたちの不安。

保護者からの相談や要望が、ときに厳しい口調で届くことがあります。「なぜこうなっているのか」「どうして対応してくれないのか」——その言葉だけを受け取れば、攻撃や批判のように聞こえるかもしれません。

でも、その言葉の奥を見つめてみると、そこには必ず「愛」があるのです。

子どもの将来を案じる心。うまくいかないことへの焦り。「このままでいいのだろうか」という切実な問い。それらはすべて、我が子を守りたい、幸せになってほしいという、親としての根源的な願いから生まれています。

表現が乱暴になることもあります。言い方が不適切なこともあるでしょう。でも、その奥にある感情の本質は、愛なのです。不安は、愛のもうひとつの形なのです。

不安を「敵」にしないということ

アドラー心理学では、人間の行動の背景には必ず「目的」があると考えます。

保護者が学校に強く要望を伝えるとき、その目的は「子どもをよりよい環境で育てたい」ということです。家庭で子どもに厳しく接するとき、その目的は「この子に困難を乗り越える力をつけてほしい」ということです。

手段が適切でないこともあります。伝え方が誤解を生むこともあるでしょう。でも、目的——つまり「子どもへの愛」——そのものが間違っているわけではありません。

教師として、保護者と向き合うとき。私たちはついつい、目の前の「言葉」や「態度」に反応してしまいます。「また無理な要求が来た」「こんな言い方をされるなんて」——そう感じることは、自然なことです。

でも、少しだけ視点を変えてみる。

この人は、なぜこんなに不安なのだろう。 何を恐れているのだろう。 どんな願いを抱いているのだろう。

そう問いかけてみると、風景が変わります。

保護者の不安は、教師にとっての「敵」ではありません。それは、共に子どもを支えるための、大切な情報なのです。

「ああ、この方は、お子さんの将来をこんなふうに心配されているんだな」 「こういう経験があって、こんなふうに感じておられるんだな」

そう受け止めることができたとき、対話の質は変わります。

親自身の不安とも、向き合う

一方、保護者の方々にも伝えたいことがあります。

私たちは、つい子どもの「できないこと」に目が向いてしまいます。それは、愛情の裏返しです。心配だから、気になるのです。

でも、その不安が強すぎると、子どもに届くメッセージが変わってしまうことがあります。

「あなたのことが心配」というメッセージが、「あなたはダメだ」というメッセージになってしまう。「ちゃんとしてほしい」という願いが、「今のあなたでは不十分だ」という否定になってしまう。

子どもは敏感です。親の不安を、そのまま受け取ります。

「お母さんは、僕のことを心配してくれているんだ」と受け取れる子もいます。でも、「お母さんは、僕のことを信じていないんだ」と受け取ってしまう子もいるのです。

だからこそ、私たち大人が、まず自分自身の不安と向き合うことが大切です。

「私は今、何を恐れているのだろう」 「この不安は、本当に子どものためなのだろうか、それとも私自身の問題なのだろうか」

そんなふうに、一度立ち止まって、自分の心を見つめてみる。それだけで、子どもへの接し方が変わることがあります。

不安を、つながりに変えるために

ある保護者の方が、こんな話をしてくださいました。

「先生に『心配ですよね』と言ってもらえたとき、涙が出そうになったんです。それまでずっと、『こんなに心配している自分はおかしいんじゃないか』『過保護なんじゃないか』って、自分を責めていて。でも、『心配ですよね』という一言で、『ああ、心配していいんだ。それは自然なことなんだ』って思えて。そうしたら、なんだか肩の力が抜けて、子どもへの接し方も変わったような気がします」

不安は、否定するものでも、隠すものでもありません。

教師は、保護者の不安を「面倒なもの」として扱わず、「子どもへの愛の表現」として受け止める。保護者は、自分の不安を認めながらも、それを子どもへの信頼に変えていく。

そんなふうに、不安と向き合えたとき、大人と大人、大人と子ども、その間に新しい関係性が生まれます。

明日から、できること

教師の方へ:

  • 保護者からの厳しい言葉を受け取ったとき、一度深呼吸をして「この方は何を心配しているのだろう」と問いかけてみる
  • 相談を受けたとき、まず「心配ですよね」「気になりますよね」と、その不安に寄り添う言葉をかけてみる
  • 保護者との面談で、「お子さんのここを心配されているんですね」と、不安を言語化してあげる

保護者の方へ:

  • 子どもに強く言いたくなったとき、一度「私は今、何が不安なんだろう」と自分に問いかけてみる
  • 「〜しなさい」の前に「お母さん(お父さん)は〜が心配なんだ」と、自分の気持ちを言葉にしてみる
  • 不安な気持ちを誰かに話してみる(先生、友人、家族、カウンセラー、誰でもいい)

不安は、一人で抱え込むと、どんどん大きくなります。でも、言葉にして、共有すると、少し軽くなります。

そして、何より大切なのは、不安を感じている自分を責めないということです。

不安を感じるのは、あなたが子どものことを大切に思っているから。それは、恥ずかしいことでも、弱いことでもありません。

不安の向こう側に

ある日の放課後、以前は厳しい口調で要望を伝えてきていた保護者の方が、こんなふうに話してくださいました。

「先生、最近、子どもが楽しそうなんです。何が変わったのかわからないけど、家でも学校の話をするようになって。私、ずっと『ちゃんとしなきゃ』って焦っていたけど、この子、このままでいいのかもって、少し思えるようになったんです」

その方の表情は、以前とはまったく違っていました。柔らかく、穏やかで、どこか安心したような——。

不安は消えません。子どもが成長する限り、新しい不安は次々と生まれてきます。

でも、不安を「敵」ではなく「愛の形」として受け止められたとき、私たちの世界は少し広がります。

教師も、保護者も、そして子どもも、完璧ではありません。不安を抱えながら、試行錯誤しながら、それでも前に進んでいく——それが、人間というものなのだと思います。

不安という感情に、少しだけ優しくなってみませんか。

あなたの不安も、目の前の人の不安も、すべては誰かを想う心から生まれています。

その心を、否定しなくていい。 戦わなくていい。 ただ、そっと認めてあげればいい。

不安の向こう側に、きっと新しい景色が見えてくるはずです。


不安は、愛のもうひとつの名前。 それを知るだけで、世界は少し優しくなります。

 

参考:このブログは心理学の知見に基づいていますが、専門的な治療の代わりになるものではありません。強い不安や日常生活に支障がある場合は、医療機関や専門のカウンセラーにご相談ください。

 

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