立場が変われば見方も変わる
視点取得と共同体感覚で紡ぐ対話の哲学
「親のみかたや先生のみかた、同じことでも立場を変えると違って見える。そこに人の軋轢が生じてくる。人は一度捉えたら見方を変えにくい。いろんな人の見方をつらつらと並べて、みんなの味方になれるといいな。」
はじめに―なぜ人は対立するのか
学校現場で長年働いていると、同じ出来事をめぐって保護者と教員、あるいは教員同士が全く異なる解釈をする場面に何度も遭遇します。遅刻を繰り返す生徒について、ある教員は「本人の甘えだ」と捉え、別の教員は「家庭環境に原因がある」と考える。保護者は「学校の指導が厳しすぎる」と感じ、教員は「家庭のサポートが不足している」と思う。誰もが子どもの最善を願っているはずなのに、なぜこうも見方が食い違ってしまうのでしょうか。
冒頭のツイートは、まさにこの人間の根源的な課題を捉えています。立場が変われば見え方が変わる。そして一度ある見方を持ってしまうと、それを変えることは驚くほど困難です。本稿では、心理学の知見―特に認知バイアス、視点取得、そしてアドラー心理学の共同体感覚―をもとに、この課題にどう向き合うべきかを考えます。
人はなぜ「見方を変えにくい」のか―認知バイアスの科学
私たちの脳は、効率的に情報を処理するために様々な「思考のショートカット」を使っています。これが認知バイアスです。1972年にエイモス・トベルスキーとダニエル・カーネマンによって提唱されたこの概念は、人間が必ずしも合理的に判断しないことを明らかにしました。
📚 エビデンス:認知バイアスとは
認知バイアスとは、過去の経験や先入観によって、合理的・客観的な判断ができなくなる心理傾向のことです。東京大学の池谷裕二教授は、認知バイアスを「脳が効率よく働こうとした結果、副次的に生じてしまったバグ」と表現しています。つまり、認知バイアスは脳の「省エネ」機能であり、必ずしも悪いものではありませんが、時として判断を誤らせる原因にもなります。
確証バイアス―自分の信念を強化する罠
特に対人関係において問題となるのが「確証バイアス」です。これは、自分の仮説や信念を裏付ける情報ばかりを集め、反対意見を無視・軽視する傾向を指します。例えば、「この子は怠け者だ」と一度思ってしまうと、その子が真面目に取り組む姿は目に入らず、ちょっとした怠慢ばかりが気になってしまうのです。
学校現場での具体例: ある生徒が授業中に居眠りをしていた。担任は「夜更かししているからだ」と考え、生徒指導を強化する。しかし実際には、その生徒は家族の介護で睡眠時間が確保できていなかった。担任の「確証バイアス」が、生徒の真の困難を見えなくしていたのです。
根本的な帰属の誤り―他者に厳しく自分に甘く
もう一つ重要なのが「根本的な帰属の誤り」です。これは、他人の失敗を性格や能力のせいにし、状況的要因を過小評価する傾向のことです。興味深いことに、自分の失敗については逆に状況のせいにしやすいのです(自己奉仕バイアス)。
教員が保護者を「無責任だ」と批判し、保護者が教員を「理解がない」と非難する。しかし双方とも、自分たちが置かれた状況の困難さは十分に認識しながら、相手の状況については想像が及ばないのです。
「視点取得」という希望―他者の目で世界を見る力
では、私たちはこうした認知の偏りから逃れられないのでしょうか。心理学は一つの希望を示しています。それが「視点取得(perspective-taking)」という能力です。
📚 エビデンス:視点取得とは
視点取得とは、自分の現在の視点を異なる立場や位置(他者視点)に移動させ、その視点にある者が持つだろう考えや感情を推測する心の働きです。社会的視点取得は、他者の信念や意図を推測する「心の理論」や共感と強く関連しています。発達心理学の研究では、視点取得能力は段階的に発達し、最終的には「第三者の視点から公平に調整する」レベルに到達することが示されています。
視点取得の5段階
発達心理学の研究によれば、視点取得能力には段階があります:
視点0(自己中心的): 自他の視点が分化しておらず、自分の見方だけが存在する
視点1(主観的): 他者にも視点があることは理解するが、自分の視点が強く反映される
視点2(二人称): 相手の立場を理解できるが、第三者の視点から調整することはできない
視点3(三人称): 第三者の視点から公平に複数の視点を調整できる
視点4(普遍的): より広い共同体や社会システムの観点から視点を取れる
重要なのは、大人であっても状況によっては低い段階に留まってしまうことがあるという点です。特に感情的になったり、自分の利害が絡んだりすると、視点取得能力は低下します。
視点取得と経験の関係
興味深いことに、視点取得能力は単なるスキルではなく、その人の経験や知識と密接に関連しています。例えば、教員経験がある人は保護者の視点を取りやすく、逆に保護者経験がある教員は保護者の気持ちをより深く理解できます。つまり、「相手の立場を経験したことがあるか」が、視点取得の深さを大きく左右するのです。
アドラー心理学と「共同体感覚」―みんなの味方になるために
ここで、冒頭のツイートの核心に迫りたいと思います。「いろんな人の見方をつらつらと並べて、みんなの味方になれるといいな」―この願いは、まさにアドラー心理学が目指す「共同体感覚」そのものです。
📚 エビデンス:共同体感覚とは
アドラー心理学の中核概念である共同体感覚(social interest)とは、他者を敵ではなく仲間と見なし、自分がその共同体に居場所があると感じ、仲間のために貢献しようと思える感覚のことです。アドラーは第一次世界大戦で軍医として従軍した経験から、「人は共同体感覚を持てたときに幸せを感じる」と考えました。共同体感覚は、自己受容、他者信頼、他者貢献の3つの要素から成り立ちます。
「私」から「私たち」へ―視点の拡張
アドラー心理学が革新的なのは、協力して生きていくときの主語を「私」ではなく「私たち」にすることを提唱した点です。これは単なる利他主義ではありません。自己犠牲でもありません。むしろ、自分も他者も含めた「より大きな全体」の視点から物事を見る姿勢なのです。
教育現場に置き換えれば、「私(教員)の指導が正しい」でも「私(保護者)の育て方が正しい」でもなく、「私たち(教員・保護者・子ども)みんなが、この子の成長のためにどう協力できるか」という視点です。
共同体感覚の3要素:
1. 自己受容: ありのままの自分を受け入れる。「できない」ことも認めた上で、「どう対応するか」を考える
2. 他者信頼: 他者を基本的に信頼する。裏切られるリスクを恐れず、まず信頼から始める
3. 他者貢献: 共同体の一員として、他者に貢献する。それが自己の幸福感につながる
判断に迷ったとき―より大きな共同体の利益を
アドラーは、判断に迷ったときには「より大きな共同体の利益」を優先することを提案しています。目の前の小さな対立(例:この指導方法が正しいか)に囚われるのではなく、より大きな視点(例:この子が将来自立して幸せに生きられるか)から考えるのです。
これは視点取得の最高段階―普遍的視点(視点4)―とも重なります。個別の利害を超えて、より広い共同体や社会システムの観点から物事を見る力です。
実践編―みんなの味方になるための5つのステップ
教育者・保護者が今日からできること
「この保護者は非協力的だ」「この先生は理解がない」と思ったとき、一度立ち止まりましょう。それは確証バイアスや根本的な帰属の誤りではないでしょうか。「本当にそうなのか?」「別の見方はないか?」と自問する習慣をつけます。
視点取得の第一歩は、相手が置かれている状況を具体的に想像することです。「この保護者は仕事と育児でどんな一日を送っているのだろう」「この先生は何十人もの生徒を相手にどんな苦労をしているのだろう」と考えてみましょう。
ツイートにあった「いろんな人の見方をつらつらと並べる」を実践します。同じ出来事について、生徒の視点、保護者の視点、教員の視点、管理職の視点など、複数の見方を書き出してみるのです。するとそれぞれに一理あることが見えてきます。
対立が生じたときは、「もし自分が第三者だったらどう見えるか?」「10年後にこの出来事を振り返ったらどう思うか?」と考えます。感情的な当事者視点から離れることで、より公平な判断ができます。
最後に、「私は正しい/あなたは間違っている」という対立構造ではなく、「私たちはどうすればこの子(この状況)にとって最善になるか?」という協力の姿勢で対話します。これが共同体感覚を育む対話です。
ケーススタディ―視点取得で変わった対話
ある中学校での実例を紹介します(個人情報保護のため内容は改変しています)。
状況: 生徒Aが頻繁に遅刻を繰り返していました。担任教員は「親の管理不足だ」と考え、保護者は「学校が朝の時間を早めたせいだ」と主張し、対立が生じていました。
介入: 学校心理士として、私は三者面談を設定し、以下のように進めました:
1. まず、それぞれの立場から「困っていること」を話してもらう(批判ではなく、自分の困難を)
2. 次に、相手の立場で「その人はなぜそう考えているのか」を推測してもらう
3. 最後に、「Aさんが毎朝元気に登校できるために、私たちには何ができるか?」を一緒に考える
結果: 教員は保護者が夜勤の仕事で朝起こせない事情を知り、保護者は学校が既に始業時間を遅らせる努力をしていたことを知りました。そして「私たち」の視点で考えた結果、近所に住む祖母にモーニングコールを頼むという解決策が生まれました。対立が協力に変わった瞬間です。
哲学的考察―なぜ「みんなの味方」でありたいのか
最後に、少し哲学的な問いを投げかけたいと思います。なぜ私たちは「みんなの味方になりたい」のでしょうか。それは単なる理想論でしょうか。
私は、これが人間の本質的な欲求だと考えます。アドラーが言うように、人間は生物学的に弱く生まれたからこそ、協力することで生き延びてきました。つまり「つながり」「協力」「貢献」は、私たちのDNAに刻まれた幸福の源泉なのです。
教育や子育ての現場で対立が生じるとき、私たちは皆、深いレベルでは同じものを求めています。子どもの幸せ、成長、未来。ただその方法論が違うだけです。そして認知バイアスや視点の固定化が、その共通の願いを見えなくしてしまうのです。
「みんなの味方になる」とは、万人に迎合することではありません。それぞれの視点の背後にある願いや困難を理解し、より大きな共同体の利益のために、共に考え、共に行動することです。それは簡単なことではありませんが、視点取得と共同体感覚を意識的に育てることで、少しずつ近づくことができます。
結びに代えて
「人は一度捉えたら見方を変えにくい」―これは人間の限界ですが、同時に希望でもあります。なぜなら、その限界を知ることで、私たちは意識的に見方を広げる努力ができるからです。
教育者として、保護者として、そして一人の人間として。今日から少しだけ、「相手の視点で世界を見てみる」練習を始めてみませんか。そこから、対立を超えた新しい対話が生まれるかもしれません。
参考文献・さらに学びたい方へ
• Wikipedia「認知バイアス」リンク
• STUDY HACKER「心理学の認知バイアスとは?」リンク
• 日本心理学会「認知バイアスの心理学」リンク
視点取得について:
• 脳科学辞典「視点転換」リンク
• 心理学研究「視点取得はソーシャルスキルの変化を予測するか」リンク
アドラー心理学について:
• ダイヤモンド・オンライン「アドラー心理学のキー概念『共同体感覚』とは何か?」リンク
• 日本アドラー心理学会公式サイト リンク
• ナンバーポータビリティラボ「子育て×アドラー心理学」リンク
書籍:
• アルフレッド・アドラー『個人心理学講義』(アルテ)
• 岸見一郎・古賀史健『嫌われる勇気』(ダイヤモンド社)
• ダニエル・カーネマン『ファスト&スロー』(早川書房)
• ロバート・チャルディーニ『影響力の武器』(誠信書房)
著者プロフィール
公認心理師、認定専門公認心理師、学校心理士、臨床発達心理士。横浜市立中学校副校長。35年以上の教育現場経験を持ち、アドラー心理学ELM勇気づけトレーナーとしても活動。社会科教育、生徒指導、特別支援教育に携わりながら、心理学の知見を学校現場に活かす実践を続けている。
コメント